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Re: 大和朝廷の創立者

 投稿者:藤井游惟メール  投稿日:2020年11月22日(日)09時52分36秒
返信・引用
  > No.83[元記事へ]

> 東アジアの歴史を好んで、自分なりに研究してきたものです。第一章を読ませていただきましたが、大筋は正しいと思います。但し、大和朝廷を立てた勢力は加羅からの勢力だけではなく、百済王室からの勢力も今にいたる日本国家の雛形を作った核となる集団だと思います。加羅防衛及び百済の破綻を防ぐために、百済王子の昆支は加羅系大和朝廷に働きをかけて、倭王の婿入りとして、百済と倭国は一体化を図ることに成功しました。加羅系倭王が死んだ後に、百済王子昆支は百済系倭王として登場。百済の武寧王が日本で生まれ、40代まで日本で育てられた日本人ポリシーなる人物が百済で王になれたのも、武寧王が倭王になった百済王子昆支の息子であったためです。それ以降の倭王は百済系の倭王ばかりであったため、母国であった百済が滅亡された後に全力をかけて白村江に戦っていた理由はそこにあります。

ご投稿ありがとうございます。
パソコンにトラブルがあり、長い間ご投稿に気づかず、もうしわけありません。

ただ、せっかくのご意見ですが、え「百済王室からの勢力も今にいたる日本国家の雛形を作った核となる集団」とのご意見には賛同いたしかねます。

百済・新羅・倭の建国は、313年の楽浪郡滅亡から、高句麗好太王碑文に記された391年の倭軍の半島大攻勢の間のことで、4世紀半ばのほぼ同時期に建国されたことになります。

そして好太王碑文によれば

「百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年來渡[海]破百殘■■新羅以為臣民」
〈そもそも新羅・百残(百済の蔑称)は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯年(391年)に[海]を渡り百残・■■(「百残を■■し」と訓む説や、「加羅」(任那)と読む説などもある)・新羅を破り、臣民となしてしまった。〉

とあり、4世紀半ばの倭の建国に百済がかかわったはずがありません。

4世紀代の百済は、朝鮮半島の黄海に面する西海岸の馬韓地方(現代の京畿道・忠清道)の地方政権であって、日本列島に渡る南海(朝鮮海峡)には面しておらず、日本列島に攻め込むには、海路伽耶が支配する全羅道を迂回するか、陸路で強引に伽耶を突っ切って南海岸に至るしかありませんが、建国間もない百済にそんな能力があったはずがありません。

ご指摘の百済の昆支のや武寧王は倭の建国から100年も経った5世紀後半の人物であって、倭の建国とは何の関係もありません。

4~7世紀の朝鮮半島の地政学的状況を見れば、百済の主敵は北方の高句麗、伽耶(倭)の主敵は同じ慶尚道内で派遣を争う新羅であり、百済と伽耶(倭)は背中合わせでそれぞれの主敵に対処する地政学的な同盟関係にあったのです。

特に、地続きの高句麗と新羅に挟まれた百済は、倭(伽耶)に新羅を牽制してもらうことに死活の重要性があったのです。
また、倭王朝にとっては、本貫の地でありながら、現在は海外領土と化している伽耶を新羅の侵略から守るためには百済の協力が必要でした。

こういう地政学的な環境から、倭(伽耶)と百済は顕在的にも潜在的にも同盟関係にあり、特に百済は倭の機嫌を損ねて新羅や高句麗の側に寝返らぬように、細心の注意を払っていたのです。

ご指摘の昆支は、「百済は倭を裏切らない」ということを証明する人質だったのであって、倭の建国とは何の関係もありません。
昆支に限らず、倭と百済の王族・貴族の人質や婚姻関係は沢山あったはずで、百済王族・貴族の血を引いている倭王や貴族は沢山いたはずですが、たとえ倭王が百済王の血を引いていたからと言って、百済が倭をコントロールできたなどと思うのは妄想。

日露戦争当時、ロシアのニコライ二世と英王室とは血縁関係にありましたが、イギリスはロシアとではなく日本と同盟しました。

倭王朝が成立、発展する段階で、同盟関係にある文化的先進国の百済から多数の人材を受け入れ、文化的発展を遂げた事実ですが、だからといって、百済が倭を政治的に支配していたなどというのは妄想にすぎません。

http://music.geocities.jp/konatarosu/Hakusonkou/Index.html

 

上代特殊仮名遣いの思い出

 投稿者:河野鐵明メール  投稿日:2020年10月22日(木)15時49分36秒
返信・引用
  今から50数年も前、早稲田で国語学の秋元ナントかとおっしゃる女の先生と「母音調和」について口論になったことがあります。当時私は1年半滞在したフィンランドから帰国したばかりで、フィンランド語の母音調和の原則の強固さを身をもって知っていました。その私にとって、日本語にもその昔上代特殊仮名遣いで表現される母音調和の原則があったという秋元先生の説明は到底納得しかねるものでした。ウラルアルタイ語族に属する言語では、数千年の言語の歴史で外来語の影響を受ける単語の変化はあるとしても、言語の根幹をなす原則がわずか百年やそこらで消滅するなどということはありえないことだと思われたのです。教室での激しいやり取りのあと秋元先生はもう二度と私の顔など見たくないとでもいうように憤然として席を立ってしまわれました。私もその一事で国語学が大嫌いになってしまいました。その後今日に至るまで折に触れては日本語とは何か、日本語と朝鮮語との関係についてかんがえていました。韓国、北朝鮮系の学者が言うように万葉集は朝鮮語で読めるのだろうかとか、朝鮮半島渡来人が日本文化を作ったというのにどうして日本に朝鮮風の風習文化が残っていないのか、たとえば日本の家屋と朝鮮の家屋の違い、朝鮮にあって日本にはないオンドル、現代日本語の中に残る朝鮮語の単語のあまりの少なさ、などなど。今回ネットで偶然藤井先生のご高説に接し、まさに我が意を得たり、一度に暗雲が去り秋晴れの空を見上げた思いです。本当にありがとうございました。もしどこかで先生の講演会でもございましたら是非参加したいと思っておりますのでご一報いただけましたら幸いです。  

書籍「白村江敗戦と上代特殊仮名遣い」について。

 投稿者:caourlメール  投稿日:2020年 9月 3日(木)12時06分30秒
返信・引用
  初めまして。いきなりの投稿失礼いたします。
御著書に大変興味を持ち、出版元問い合わせましたが、取り扱っていないという事でした。
どうにか、書籍を読む事はできないでしょうか。よろしくお願いします。
 

大和朝廷の創立者

 投稿者:山越清メール  投稿日:2020年 8月20日(木)16時02分7秒
返信・引用
  東アジアの歴史を好んで、自分なりに研究してきたものです。第一章を読ませていただきましたが、大筋は正しいと思います。但し、大和朝廷を立てた勢力は加羅からの勢力だけではなく、百済王室からの勢力も今にいたる日本国家の雛形を作った核となる集団だと思います。加羅防衛及び百済の破綻を防ぐために、百済王子の昆支は加羅系大和朝廷に働きをかけて、倭王の婿入りとして、百済と倭国は一体化を図ることに成功しました。加羅系倭王が死んだ後に、百済王子昆支は百済系倭王として登場。百済の武寧王が日本で生まれ、40代まで日本で育てられた日本人ポリシーなる人物が百済で王になれたのも、武寧王が倭王になった百済王子昆支の息子であったためです。それ以降の倭王は百済系の倭王ばかりであったため、母国であった百済が滅亡された後に全力をかけて白村江に戦っていた理由はそこにあります。  

Re: 白村江敗戦

 投稿者:藤井游惟メール  投稿日:2018年10月19日(金)09時29分18秒
返信・引用
  > No.78[元記事へ]

おっしゃっていることの意味がよくわかりませんが、663年に白村江の戦いがあったことは日・中・朝の資料が一致しているところ(朝鮮資料は旧唐書の丸写しですが)、その後に日本国内での文書作成料が突如激増し、記紀万葉も白村江の戦いから100年以内に書かれたことは確かです。(第二章参照)

そして、記紀万葉に現れる「上代特殊仮名遣い」は、その用字者が朝鮮語を話す
百済帰化人であることを如実に物語っており(第三章~第八章参照)、このことを歴史学的に否定する方法はありません。

歴史に重点を置く読者は、拙著の第一章、二章あたりだけを読み、三章以降はナナメ読みして添付のビデオも見ないで批判する人々が多いですが、拙著の最重要部分は歴史学者や考古学者には批判の手段がない五章~八章です。

この部分を言語学的に覆すことができない限り、一章や二章に対する歴史学的な批判は、たとえ正しくても拙論の枝葉の部分をひっかくだけ、根幹には何の傷も与えません。


> 白村江については舊唐書卷八十四/列傳三十四/劉仁軌伝に詳細に記録されるが
>
> 敗戦の文字は無い、抜粋になるが、舟四百艘を焼く、耽羅國の使い、とある。
>
> 仁軌遇倭兵於白江之口 四戰捷 焚其舟四百艘 煙焰漲天 海水皆赤 賊众大潰 餘豐脱身而走 獲其寶劍 偽王子扶餘忠勝 忠志等率士女及倭众并耽羅國使
>
> 劉仁軌伝を全文訳していない模様ですな。万葉集318に記録される(まともに訳していない)
> 万葉集に日本に改名した経緯が記録される。
>
> 日本書紀の捏造で則天武后に追い出されたが真相です。
>
> > 663年の白村江敗戦以前の日本には、読み書きできる人材がほとんどいませんでしたが、白村江後に滅亡してきた3000人を超す百済文化人のおかげで、日本でもやっと史書などを作成できるだけの文書事務官の数がそろったのです。
> >
>
> よく、騙されたものですな。日本は以後日本書紀の捏造に洗脳され韓国に行っていない。
> 劉仁軌伝を正確に翻訳したらどうですか・・、
> >
>
> > > 白村江の敗戦が日本を作ったというのは岡田英弘氏の著作(倭国・倭国の時代・日本史の誕生など)にあります。敗戦で東アジア世界の孤児となった倭国が国防のため日本国に鞍替えしたという趣旨だったように思います。その中には日本語は人造言語だとの指摘もあり、なかなか興味深いのですが、日本書紀は親新羅派の天武天皇によるはずなのに百済系渡来人が執筆者にいた、というのが腑に落ちません。藤井様はどうお考えですか?

http://music.geocities.jp/konatarosu/Hakusonkou/Index.html

 

Re: 打ち間違い?

 投稿者:藤井游惟メール  投稿日:2018年10月19日(金)09時13分11秒
返信・引用
  > No.79[元記事へ]

> 「・大野透」ってあるのは「・大矢透」のことですよね。
>

仰せの通り、打ち間違いでした。
お詫びして訂正いたします。

http://music.geocities.jp/konatarosu/Hakusonkou/Index.html

 

Re: 上代特殊仮名遣いについて

 投稿者:藤井游惟メール  投稿日:2018年10月19日(金)09時10分54秒
返信・引用
  > No.76[元記事へ]

> 私は上智大学の学生です。
> 豊島正之教授の授業で上代特殊仮名遣いについて学びましたが、松本氏の説が取るに足らないものとしてしっかり批判されていたため、第二章にあるような批判を行っている国語学者もいるということをお伝えするために投稿させていただきました。


ご投稿に気づくのが遅くなり、大変失礼致しました。

豊島正之教授という方をよく存じませんが、ネットで見るとキリシタン文献などをご研究の様子、ポルトガル語にはやはり/O/母音が二つあり、『日葡辞書』などを調べると上代と同じような/O/母音の書き分けが見られる様です。(まだ詳しくは調べていませんが)

また、拙著第二章にあるような批判を行っている国語学者とはどのような方でしょうか?
詳しくお教えいただければ幸いです。

よろしくお願い申し上げます。

藤井游惟

http://music.geocities.jp/konatarosu/Hakusonkou/Index.html

 

打ち間違い?

 投稿者:benzoメール  投稿日:2018年10月 5日(金)18時35分45秒
返信・引用
  「・大野透」ってあるのは「・大矢透」のことですよね。
 

Re: 白村江敗戦

 投稿者:秦野北斗  投稿日:2018年 7月14日(土)11時12分5秒
返信・引用
  > No.75[元記事へ]

白村江については舊唐書卷八十四/列傳三十四/劉仁軌伝に詳細に記録されるが

敗戦の文字は無い、抜粋になるが、舟四百艘を焼く、耽羅國の使い、とある。

仁軌遇倭兵於白江之口 四戰捷 焚其舟四百艘 煙焰漲天 海水皆赤 賊众大潰 餘豐脱身而走 獲其寶劍 偽王子扶餘忠勝 忠志等率士女及倭众并耽羅國使

劉仁軌伝を全文訳していない模様ですな。万葉集318に記録される(まともに訳していない)
万葉集に日本に改名した経緯が記録される。

日本書紀の捏造で則天武后に追い出されたが真相です。

> 663年の白村江敗戦以前の日本には、読み書きできる人材がほとんどいませんでしたが、白村江後に滅亡してきた3000人を超す百済文化人のおかげで、日本でもやっと史書などを作成できるだけの文書事務官の数がそろったのです。
>

よく、騙されたものですな。日本は以後日本書紀の捏造に洗脳され韓国に行っていない。
劉仁軌伝を正確に翻訳したらどうですか・・、
>

> > 白村江の敗戦が日本を作ったというのは岡田英弘氏の著作(倭国・倭国の時代・日本史の誕生など)にあります。敗戦で東アジア世界の孤児となった倭国が国防のため日本国に鞍替えしたという趣旨だったように思います。その中には日本語は人造言語だとの指摘もあり、なかなか興味深いのですが、日本書紀は親新羅派の天武天皇によるはずなのに百済系渡来人が執筆者にいた、というのが腑に落ちません。藤井様はどうお考えですか?
 

拙著の贈呈について

 投稿者:安本美典メール  投稿日:2018年 6月22日(金)16時23分35秒
返信・引用
  以前、一度お目にかかったことのある安本です。ご無沙汰いたしております。
さて、最近私は上代特殊仮名遣いについての本を書きました。一部贈呈させていただきたいと存じますが、ご連絡先が分からなくなってしまいました。お手数ですがご連絡先をご教示いただければ幸いです。要用のみにて失礼いたします。
 

上代特殊仮名遣いについて

 投稿者:国文科学生  投稿日:2018年 6月 7日(木)11時22分58秒
返信・引用
  私は上智大学の学生です。
豊島正之教授の授業で上代特殊仮名遣いについて学びましたが、松本氏の説が取るに足らないものとしてしっかり批判されていたため、第二章にあるような批判を行っている国語学者もいるということをお伝えするために投稿させていただきました。
 

Re: 白村江敗戦

 投稿者:藤井游惟メール  投稿日:2017年12月26日(火)21時05分46秒
返信・引用
  > No.74[元記事へ]

まず、岡田英弘氏は言語学に関しては全くの素人、日本語が人造言語だなどという説は噴飯もののタワゴトにすぎません。
まともな言語学者ならそんな話全く相手にしません。

663年の白村江敗戦以前の日本には、読み書きできる人材がほとんどいませんでしたが、白村江後に滅亡してきた3000人を超す百済文化人のおかげで、日本でもやっと史書などを作成できるだけの文書事務官の数がそろったのです。

日本書紀を書かせた天武天皇が親新羅派かどうかは知りませんが、天武天皇や舎人親王などは「こういう風に書け」と指示するだけで、実際に執筆に当たっていたのは白村江で大量亡命してきた百済系の書記官たちだったのです。

実際に執筆する書記官たちはサラリーマンであり、ただ上司の命令に従って自分の意志や好悪に関係なく、淡々と文書事務をこなすだけです。(現代だってそうでしょう)

そして当時、淡々と文書事務をこなす書記官の大部分は百済系の人間であったわけで、天武天皇が親新羅派であろうがなかろうが、彼らの仕事には関係ありません。
そもそも、当時の日本に新羅系の書記官などいたとしてもごくわずかで、その連中だけに膨大な記紀万葉の執筆を任せることなどできなかったはずです。

ただ、日本書紀30巻の約半分、特に当時の現代史に近い部分は、660年に百済から献上された薩弘格などの中国人が執筆したのであり、700年ごろに彼らが死んだことで百済系(新羅を含む朝鮮系)の書記官たちが残りの執筆に当たったのです。

いずれにせよ、日本書紀を書かせたのが誰か、という問題と、実際に筆を執って書いたのは誰かという問題は、区別して考えなければなりません。





> 白村江の敗戦が日本を作ったというのは岡田英弘氏の著作(倭国・倭国の時代・日本史の誕生など)にあります。敗戦で東アジア世界の孤児となった倭国が国防のため日本国に鞍替えしたという趣旨だったように思います。その中には日本語は人造言語だとの指摘もあり、なかなか興味深いのですが、日本書紀は親新羅派の天武天皇によるはずなのに百済系渡来人が執筆者にいた、というのが腑に落ちません。藤井様はどうお考えですか?

http://music.geocities.jp/konatarosu/Hakusonkou/Index.html

 

白村江敗戦

 投稿者:98user  投稿日:2017年11月14日(火)10時00分35秒
返信・引用
  白村江の敗戦が日本を作ったというのは岡田英弘氏の著作(倭国・倭国の時代・日本史の誕生など)にあります。敗戦で東アジア世界の孤児となった倭国が国防のため日本国に鞍替えしたという趣旨だったように思います。その中には日本語は人造言語だとの指摘もあり、なかなか興味深いのですが、日本書紀は親新羅派の天武天皇によるはずなのに百済系渡来人が執筆者にいた、というのが腑に落ちません。藤井様はどうお考えですか?  

Re: 上代特殊仮名遣いに関する質問です。

 投稿者:藤井游惟メール  投稿日:2017年 3月10日(金)21時04分21秒
返信・引用
  武富様

上代特殊仮名遣いに於いてはイ段音/キ/・/ヒ/・/ミ/とエ段音/ケ/・/ヘ/・/メ/の甲乙書き分けがある、とされていますが、
これらの乙類に充当されている漢字の朝鮮音を調べると、ワ行の/ヰ/・/ヱ/と同種の母音が現れます。

即ち、ア行の/イ/・/エ/が甲類、ワ行の/ヰ/・/ヱ/が乙類で、これも上代特殊仮名遣いであると考えられ、/ヰ/は/wi/、/ヱ/は/we/というような発音です。
従って、イ・エ段音の甲乙の発音は、/ki/と/kwi/、/pi/と/pwi/、/mi/と/mwi/、/ke/と/kwe/、/pe/と/pwe/、/me/と/mwe/、の様な発音だったと思われます。

但し、このイ・エ段音の甲乙は、オ段の甲乙のような日本人自身が聞き分けられない異音(allophone)の関係にあるのではなく、乙類母音は/i/と/u/の二重母音、或いは子音と母音の間に渡り音/w/が入った母音であり、日本人でも聞きわけられ、発音し分ける事もできるものです。

その証拠にこれらは、/イスキー/と/ウィスキー/、/キック/と/クィック/、/ピン/と/プィン/、/ミ/と/ムィ/、/ケ/と/クェ/、/ペ/と/プェ/、/メ/と/ムェ/のようにカタカナで書き分けることも出来るし、発音し分けることも出来るでしょう。
それに対し、同じ音素・音節の異音(allophone)であるオ段甲乙は、聞き分ける事も書き分けることもできません。

奈良時代人でもこれらの聞きわけ、発音仕分けはできたはずですが、問題はそれが意味弁別に機能していたかどうかです。

よく、/カミ/(上)の/ミ/は甲類、/カミ/(神)の/ミ/は乙類で、イ・エ段の甲乙は意味弁別に機能していた、ということがよく言われます。
そして何より、/イ/と/ヰ/・/エ/と/ヱ/の書き分けはつい最近まで残っていて意味弁別に機能しており、どこかの方言(四国だったか?)では今でもこれらを発音しわけているそうですから、奈良時代人はイ・エ段の甲乙を意図的に発音し分けていたのかもしれません。

但し、上代文献において甲乙で書き分けられているイ・エ段音の用例全てが意味弁別に機能しているとは限らないと思います。

例えば、「杭」/クイ/という言葉を早口で言えば/クィ/の様に聞こえるし、「食え」を早口で言えば/クェ/の様に聞こえるでしょう。
朝鮮語の母音数は日本語よりも多く、二重母音や三重母音もあり、朝鮮語母語話者の母音感覚は日本人よりもずっとすぐれています。
その耳のいい朝鮮帰化人達が、日本人自身が意識していない二重母音化や渡り音を聞き取って、別の文字で書き分けたということもあったかもしれません。

日本人自身が意識して発音しわけていた語か、耳のいい朝鮮帰化人が日本人自身が意識していない二重母音化や渡り音を聞き取った語なのかは、一つ一つの用例を検討してみなければならないでしょう。

但し、イ・エ段音の乙類はあくまで二重母音か渡り音であって、/アイウエオ/とは別の母音があったことにはなりません。
もし奈良時代の日本語が8母音だったとすれば、/イスキー/と/ウィスキー/、/キック/と/クィック/を聞きわけ、発音しわけ、書き分けることができる現代日本語も8母音だと言うことになってしまいます。

イ・エ段音の問題も興味深い問題ではありますが、私の説にとっては重要性を持ちませんので、ご自分で検討してみてください。


> 素人ですが、上代特殊仮名遣いに興味を持ち、藤井先生の百済帰化人記述説を拝見して、疑問が出来ました。教えて頂けないでしょうか。
> 書かれているのは、オ段だけで、確かにその通りなのでしょうが、イ段エ段も書き分けられていて、イ段エ段の書き分けを解明した人は、いるのでしょうか。松本克己先生は、エ段を「過渡的な現象に過ぎなかった」で済ませています。とても、理解できません。私には、帰化人が、「書き分けた」と言うことは、日本人が、「言い分けていた」と言うことで、それは、「聞き分けていた」と言うことでは、ないでしょうか。(聞こえない人は、話せなく、訓練しても、ぎこちないそうです。)すると、七母音で、オ段の必然も聞き分けていれば、八母音ではないでしょうか。
> 宜しくお願いいたします。
>

http://music.geocities.jp/konatarosu/Hakusonkou/Index.html

 

上代特殊仮名遣いに関する質問です。

 投稿者:たけとみメール  投稿日:2017年 3月10日(金)19時07分50秒
返信・引用
  素人ですが、上代特殊仮名遣いに興味を持ち、藤井先生の百済帰化人記述説を拝見して、疑問が出来ました。教えて頂けないでしょうか。
書かれているのは、オ段だけで、確かにその通りなのでしょうが、イ段エ段も書き分けられていて、イ段エ段の書き分けを解明した人は、いるのでしょうか。松本克己先生は、エ段を「過渡的な現象に過ぎなかった」で済ませています。とても、理解できません。私には、帰化人が、「書き分けた」と言うことは、日本人が、「言い分けていた」と言うことで、それは、「聞き分けていた」と言うことでは、ないでしょうか。(聞こえない人は、話せなく、訓練しても、ぎこちないそうです。)すると、七母音で、オ段の必然も聞き分けていれば、八母音ではないでしょうか。
宜しくお願いいたします。
 

Re: 転載してもいいですか

 投稿者:張銘メール  投稿日:2017年 1月 8日(日)11時36分2秒
返信・引用
  > No.69[元記事へ]

あけましておめでとうございます
ご返信ありがとうございます
私の出身は中国の東北部なので
泉州の発音は分からないです。
友達に聞いてみるので、分かり次第お伝えします。
もう一つお聞きしたいことがあります
私がご説をうまく理解していないかもしれませんが
神(かみ)甲と上(かみ)乙の区別をどう説明すればいいでしょうか
「み」の前は全部「か」ですが、書き分けられています。
意味から見れば、同じ語源を持っているはずですが。
よろしくお願いします
 

Re: 転載してもいいですか

 投稿者:藤井游惟  投稿日:2017年 1月 2日(月)11時43分57秒
返信・引用
  > No.68[元記事へ]

張銘さま

あけましておめでとうございます。

年末年始でバタバタしており、ご投稿に気づくのが遅れ、失礼いたしました。

拙論を高くご評価いただきありがとうございます。

転載の件は何の問題もありませんので、是非中国でどんどん宣伝してください。


また最近、拙著に収録されている「中国各地方言で読んだ万葉集」の歌すべてを
テロップ付きで編集しなおし、YOUTUBEにアップしましたので、お時間のある時にご覧ください。
(これまでYOUTUBEにアップしてあるのはごく一部です)
歌別集計
https://www.youtube.com/channel/UCA_dvsDGbJ_x8F47d7ic2NA
地方別集計
https://www.youtube.com/channel/UCrOQ1Bq2ca13V69bR1QVtCQ

またお名前から判断すると、中国の方のようですが、
福建省の泉州あたりで「日本」はどのように発音するかご存知でしょうか?

泉州はマルコポーロが長く滞在していた土地で、彼の「東方見聞録」にでてくる
黄金の国/ジパング(日本国)/は、このあたりの方言を音写したものじゃないかと思うのですが。

厦門では/ジップン/、上海では/サプン/、杭州では/ザパン/のように発音するので、
泉州では/ジパン/と発音するのではないかと思いますが、
お知り合いの方にこのあたりの出身の方がいたら、聞いてみていただけませんか?

長くなりましたが、今後とも御意見・ご質問・ご要望などありましたら、
遠慮なくご投稿ください。

よろしくお願い申し上げます。

藤井

http://music.geocities.jp/konatarosu/Hakusonkou/Index.html

 

転載してもいいですか

 投稿者:張銘メール  投稿日:2016年12月27日(火)22時40分47秒
返信・引用
  藤井先生
こんにちは
ご研究読みまして、大変感心しました。
根拠強く、いままで一番納得する説です。
呉音の部分だけ、訳して、中国の「知乎」というサイトに転載してもいいですか
「知乎」はヤフーの知恵袋みたいな質疑応答のサイトで、営利の目的はありません。
ただ先生のご説をより多くの人に見せたいだけです。
もちろん、先生のお名前とサイトのurlを載せます。
よろしいでしょうか
 

Re: 万葉集の枕詞

 投稿者:藤井游惟メール  投稿日:2016年 4月 5日(火)08時20分59秒
返信・引用
  > No.66[元記事へ]

山本仲次郎様

ご訪問頂き、ありがとうございます。

さて、問題の「なまよみの」の件ですが、すでにご存じのことと思いますが、「上代語辞典」(明治書院)によれば、「生吉(ななよみ)の貝」(代匠記)、「生弓(なまゆみ)のかへり」(冠辞考)という二つの説があるものの、どちらも肯首されていない、ということです。

語彙・語源論の専門家である国語学者・国文学者たちが長年かけて意味が分からない単語を、私が解明できるわけもありません。

ただ私の観点からいえることは、「奈麻余美乃」の「余」は乙類であるため、「ナマヨミノ」は関西方言のHHHHHアクセントで発音されていたものと思われます。
このアクセント感覚からいうと「生弓」説の方に分があるように思われます。
ご参考までに。

>本書の記述内容とは掛け離れているかも知れませんが、解釈不能と言われる枕詞の一つ
>甲斐の国にかかる      なまよみの     の意味について ご意見を受け賜りたく宜しくお願いします。
 

万葉集の枕詞

 投稿者:山本仲次郎メール  投稿日:2016年 4月 4日(月)16時26分22秒
返信・引用
  本書の記述内容とは掛け離れているかも知れませんが、解釈不能と言われる枕詞の一つ
甲斐の国にかかる      なまよみの     の意味について ご意見を受け賜りたく宜しくお願いします。
 

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